↓ メインコンテンツへスキップ

固体燃料でのトリウム利用の試み

トリウムを核燃料に使うという発想は、決して新しいものではありません。むしろ原子力の黎明期から有力な選択肢の一つであり、1960年代から70年代にかけて、複数の国が実際に炉を建てて試しています。

そして、そのすべてが実を結びませんでした。

「トリウムが有望なら、なぜ半世紀前に実現しなかったのか」——これは当然の疑問です。答えを知ることは、現在の熔融塩炉の位置づけを理解する助けになります。

実際に建てられた炉
#

トリウムを装荷した炉は、構想だけでなく実際に運転されています。代表的なものを挙げます。

インディアンポイント1号機(米国、1962-1974年) 軽水炉です。普通の発電用原子炉に、トリウムと高濃縮ウランを混ぜた酸化物燃料を装荷して運転しました。後に通常のウラン燃料に切り替えられています。

ドラゴン炉(英国、1965-1976年) 黒鉛で減速しヘリウムで冷やす高温ガス炉で、欧州各国が共同で運営した実験炉です。トリウムと高濃縮ウランを、炭化物の被覆粒子燃料として使いました。ここで開発された被覆粒子の技術が、現在のTRISO燃料の祖先にあたります。

THTR-300(西ドイツ、1985-1989年) 球状の燃料を炉心に詰める、いわゆるペブルベッド型の高温ガス炉です。出力30万kWと、実験炉ではなく商用規模でした。しかし運転開始から数年で技術的なトラブルが続き、早期に閉鎖されています。

シッピングポート軽水増殖炉(米国、1977-1982年) 最も注目に値するのがこれです。普通の軽水炉の炉心を、トリウムとU-233を組み合わせた構成に置き換えたもので、運転後の炉心を実際に取り出して調べた結果、燃やした量よりわずかに多い核燃料が生成していたことが確認されました。

つまり、軽水炉でトリウムの増殖が成立することは、実機で実証済みです。技術的には成功でした。それでも、この方式が商用に広がることはありませんでした。

なぜ挫折したのか
#

理由は一つではありません。しかし、いずれも炉の物理そのものの問題ではなかったという点が共通しています。

1. 燃料をつくる技術を、一から開発しなければならなかった
#

なぜ世界は軽水炉に収斂したのかで述べたとおり、当時の世界は軽水炉の燃料技術に膨大な資源を投じていました。ウラン酸化物のペレットをジルカロイの管に詰める——この一点に、数え切れないほどの研究が積み上げられていきます。

トリウム燃料は、この蓄積を十分に使えませんでした。トリウム酸化物はウラン酸化物と性質が異なり、被覆粒子燃料に至っては製造方法からして別物です。それぞれの炉が、それぞれの燃料を、ゼロから開発する必要がありました。

ドラゴン炉やTHTRが苦労したのは、まさにこの燃料開発でした。炉が動いても、燃料が期待どおりに振る舞ってくれないのです。

2. 高濃縮ウランが使えなくなった
#

これが決定的でした。

トリウムそのものは核分裂しません。中性子を吸収してU-233に変わって初めて燃料になります。したがって運転を始めるには、中性子を供給する「タネ」となる核分裂性物質が必要です。

当時のトリウム炉は、このタネに高濃縮ウランを使っていました。上に挙げた炉は、いずれも高濃縮ウランとトリウムの組み合わせです。

ところが1974年のインドの核実験を契機に、核不拡散の要請が一気に強まります。高濃縮ウランは核兵器に直接転用できる物質であり、民生用途からは事実上締め出されました。

タネを断たれた固体燃料のトリウムサイクルは、そこで行き場を失います。1977年に商用再処理が凍結されたことも、同じ方向に働きました。トリウムサイクルは、U-233を取り出して再び使うことで初めて意味を持つからです。

3. サイクルが閉じない世界では、トリウムの利点が消える
#

トリウムの利点——マイナーアクチノイドをほとんど生まないこと、資源が豊富なこと——は、燃料サイクルを閉じて初めて発揮されます。

一度使って捨てるだけなら、トリウムはウランより扱いにくいだけの燃料です。U-233に変わった分を回収しなければ、資源利用率は上がりません。廃棄物の質が改善しても、そもそも取り出して比べる機会がありません。

米国が再処理から退き、多くの国で高燃焼度のワンススルーが現実解となった世界では、トリウムを選ぶ理由が薄れてしまったのです。

4. そして、再びつくり直せなかった
#

仮に再処理が許されていたとしても、固体燃料のトリウムサイクルには最後の関門が残っていました。

トリウムから生まれるU-233には、U-232という同位体が必ず随伴します。その崩壊系列に現れるタリウム208が、極めて透過力の強いガンマ線を放ちます。取り出したU-233を再び固体の燃料に成形し直す作業を、厚い遮蔽の向こう側で遠隔操作で行わなければなりません。

この点は燃料サイクルを閉じるという難題で詳しく述べました。固体燃料である限り、この工程からは逃れられません。

唯一続けた国
#

例外があります。インドです。

インドは国内に豊富なトリウム資源を持つ一方でウラン資源に乏しく、国家戦略としてトリウム利用を掲げ続けてきました。重水炉でプルトニウムを作り、高速炉でそれを増やし、最終的にトリウムを使うという三段階の構想を、半世紀にわたって追求しています。

ただしこの構想は、現在も第三段階に到達していません。国家的な意志と長期の投資をもってしても、固体燃料でのトリウム利用は容易ではない、という事実を示す例だと言えます。

何が本当の障害だったのか
#

こうして並べると、共通する構図が見えてきます。

トリウムは「炉」で挫折したのではなく、「燃料サイクル」で挫折しました。

  • 炉としては動いた。シッピングポートでは増殖まで実証された
  • しかし、始めるためのタネ(高濃縮ウラン)が断たれた
  • 続けるための再処理が止められた
  • 仮に再処理できても、遠隔での燃料再製造という壁があった
  • そしてサイクルが閉じない以上、トリウムを選ぶ利点そのものが消えた

トリウムの利点は、すべて「サイクルを閉じられること」を前提にしています。 固体燃料という入口から出発する限り、その前提が満たされにくい——これが半世紀の経験から得られた教訓です。

熔融塩炉が違う点
#

ここまで挙げた4つの障害のうち、液体燃料が構造的に解消するものが2つあります。

燃料の製造工程が存在しません。 成形すべき固体がないため、遠隔での燃料再製造という最大の関門が消えます。U-232のガンマ線は、むしろ核物質の転用を困難にする核不拡散上の資産に転じます。

燃料技術の蓄積を使えないという不利は、そもそも前提が違います。 熔融塩炉は軽水炉の燃料技術を流用できませんが、それは液体燃料に固体燃料の技術が要らないからでもあります。開発すべきものが「別の燃料」ではなく「別の系統の技術」なのです。

一方、残る2つの障害は消えません。

運転を始めるためのタネは、液体燃料でも必要です。現在、複数の企業が余剰プルトニウムや高濃縮度のウランをその供給源として見込んでいるのは、半世紀前と同じ課題に直面しているからです(3つの質問で分かる、熔融塩炉の見分け方の質問3)。

そして、サイクルを閉じる化学処理を商用規模で成立させられるかどうかは、依然として未証明です。この点については商用炉をつくるという壁で扱います。


この連作の他のページ