現在、世界で動いている原子炉のほとんどは軽水炉です。あまりに支配的なので、それが唯一の合理的な解だったから残ったかのように見えます。
しかし実際には、そうではありませんでした。原子炉には最初からいくつもの選択肢があり、軽水炉が勝ったのは技術的な優劣だけが理由ではありません。そして軽水炉に最適化された世界が出来上がったことで、他の道は探索されないまま今日に至っています。
熔融塩炉(溶融塩炉)に今あらためて関心が集まる理由を理解するには、この経緯を知っておく必要があります。
出発点は潜水艦だった #
軽水炉が最初に成功したのは、発電所ではなく原子力潜水艦の動力としてでした。
潜水艦の動力に求められる条件は独特です。狭い船体に収まるよう小さくまとまっていること、出力の変化に素早く応じること。普通の水を減速材と冷却材の両方に使う軽水炉は、この用途によく合っていました。燃料に濃縮ウランを必要とする欠点はありましたが、米国は核兵器開発を通じて既に濃縮技術を持っていました。
つまり軽水炉は、発電のために最適化された炉ではなく、軍事用途で成功した炉を陸上に持ってきたものです。この出発点の性格は、後々まで尾を引きます。
「炉は安く、燃料で儲ける」という商売 #
1950年代後半、ウェスチングハウスとゼネラル・エレクトリックは、この技術で民生用発電の市場を取りに行きます。
そこで採られたのが、原子炉本体を思い切った安値で売り、燃料の供給で継続的に儲けるという事業設計でした。プリンターを安く売ってインクで回収する商売に似ています。米国政府も、濃縮ウランの供給を保証する形でこれを後押ししました。
この攻勢の前に、他の路線は市場から退場していきます。
英国とフランスは、天然ウランを黒鉛で減速する炉を開発していました。濃縮ウランを必要としないため、濃縮技術を持たない国でも自前で燃料を賄えるという大きな利点がありました。しかし価格でも量産性でも軽水炉に対抗できず、市場から姿を消します。
西側で生き残ったもう一つの路線が、カナダのCANDU炉でした。重水を使うことで天然ウランを燃料にできる設計です。生き残れた理由の一つは、皮肉なことに軽水炉と多くの要素を共有できたことにあります。燃料が酸化物ペレットであること、被覆管がジルカロイであること——軽水炉のために積み上げられた膨大な技術を流用できたため、低コストで開発を続けられたのです。
ここに、この物語の鍵があります。 軽水炉が支配的になるほど、軽水炉に似た炉ほど有利になる。似ていない炉は、すべてを自前で開発しなければならなくなります。
クローズドサイクルは当初の前提だった #
意外に思われるかもしれませんが、原子力発電は当初からクローズドサイクル、つまり燃料の再利用を前提に構想されていました。
当時、ウランは貴重な資源だと考えられていました。核分裂しやすいウラン235は天然ウランの0.7%しかありません。これを一度使って捨てるだけでは、資源はすぐ尽きると見込まれていたのです。使用済み燃料からプルトニウムを取り出して再び燃やす——そこまでを含めて、原子力は成立するはずでした。
核兵器開発で生まれたプルトニウム抽出技術は改良され、PUREX法という湿式(水溶液を使う)の再処理方式に発展します。現在も世界の再処理はこの方式です。
ゼネラル・エレクトリックはさらに踏み込み、PUREX法にフッ化物揮発法を組み合わせた新方式のプラントまで建設しました。しかし工程どうしをうまく繋ぐことができず、このプラントは一度も稼働しないまま失敗に終わります。
1977年の転換 #
決定的な出来事は、技術の外側から訪れました。
1974年、インドが核実験を行います。使われたプルトニウムは、カナダから平和利用目的で供与された研究炉で生産されたものでした。平和利用のために渡した技術が、核兵器に転用された——この衝撃は決定的でした。
1977年、カーター政権は商用再処理を無期限に凍結します。プルトニウムを取り出す行為そのものが核拡散のリスクだ、という判断でした。
この決定が消し去ったものは、再処理工場だけではありません。
- 高速増殖炉計画 — 再処理で得たプルトニウムを燃やす前提の炉であり、行き場を失いました
- 固体燃料のトリウムサイクル — 高濃縮ウランに依存していたため、同じ規制の網にかかりました(固体燃料でのトリウム利用の試み)
- 熔融塩増殖炉(MSBR) — オークリッジ国立研究所が進めていた熔融塩炉の計画も、ほぼ同じ時期に終了します
さらに、この頃にはウラン鉱床が各地で見つかり、資源は当面尽きないという見通しが広がっていました。クローズドサイクルの存在意義そのものが薄れていたことが、この決断を後押ししました。
穴を埋めた英仏も、やがて退いた #
米国が抜けた再処理を引き受けたのが、英国とフランスです。
英国には固有の事情もありました。プルトニウム製造用に稼働していたマグノックス炉は、燃料を頻繁に取り出す必要があり、しかもその燃料は長期保管に向かないという性質を持っていました。再処理は選択肢ではなく必須だったのです。
英国は各国から軽水炉の使用済み燃料を引き受ける大規模な再処理工場を運転しました。しかし、運転トラブルによる高いコストと、取り出したものの使い道がないまま溜まり続けるプルトニウムの管理費用に耐えられず、2018年に操業を停止します。
プルトニウムを受け取るはずだった高速増殖炉も、英仏日でプロトタイプは動いたものの、大型化の段階で技術的な課題に直面し、西側では商用炉に到達していません。
ただし、これを高速炉という路線そのものの失敗と見るのは正確ではありません。ロシアでは大型の高速炉が長期にわたって営業運転を続けており、中国やインドも開発を進めています。西側で歩みが止まったことには、技術的な難しさに加えて、安価なウランが続いたことや政策の転換といった事情が重なっています。
フロントエンドも失われた #
同じ時期、燃料供給の入口側でも地殻変動が起きています。
カーター政権の決定以降、濃縮ウランの供給に不安を覚えた欧州は、高効率な遠心分離技術の開発に資金を投じました。米国が使っていた旧来の方式は、消費電力で太刀打ちできなくなります。
追い打ちをかけたのが1990年代です。冷戦終結にともなって放出されたロシア産の安価な濃縮ウランが市場に流れ込み、米国のウラン濃縮産業は最終的に消滅しました。
現在、米国が濃縮工場の再建を国家的な課題として議論しているのは、この四半世紀前の帰結です。
米国に残ったのは「使い捨て」だった #
こうして1990年代までに、1960年代の楽観論が描いたクローズドサイクルは、米国からほぼ姿を消しました。
- バックエンド(再処理・高速炉)からは、政策転換もあって産業として撤退した
- フロントエンド(ウラン濃縮)は、産業ごと国外へ流出した
- 軽水炉そのものも、燃料トラブルと安全系のコスト増に苦しみ、事業としては厳しいものになっていた
米国に残った現実解は、燃料をできるだけ長く燃やして、そのまま捨てる——高燃焼度のワンススルーでした。
ただし、これは世界全体の姿ではありません。 フランスは再処理を産業として確立し、回収したプルトニウムをMOX燃料として軽水炉で再利用する仕組みを今日まで運用しています。ロシアは高速炉を運転しながら、閉じたサイクルの構築を国家計画として続けています。湿式再処理そのものは、実際に動いている技術です。
苦戦しているのは、技術が成立するかどうかではなく、それを経済的に見合う形にし、当初描かれた完全な循環にまで広げることのほうです。プルトニウムは軽水炉では何度も回せず、高速炉との接続がなければ循環は閉じきりません。そして安価なウランが続く限り、その投資は正当化しにくい——この構図が半世紀続いています。
ここが重要な点です。現在の状況は、技術の敗北というより、出発点の選び方が課したコストの帰結でした。
エントリーポイントという考え方 #
原子炉の設計は、いくつかの要素の組み合わせで決まります。何で中性子を減速するか、何で冷やすか、どんな燃料を使うか、その燃料をどんな形にして、何で包むか。
歴史上つくられてきた炉を、この観点で並べてみます。
| 減速材 | 冷却材 | 燃料 | 燃料の形 | 被覆 | |
|---|---|---|---|---|---|
| 軽水炉 | 軽水 | 軽水 | 低濃縮ウラン | 酸化物 | ジルカロイ |
| CANDU | 重水 | 重水 | 天然ウラン | 酸化物 | ジルカロイ |
| マグノックス | 黒鉛 | 二酸化炭素 | 天然ウラン | 金属 | マグネシウム合金 |
| RBMK | 黒鉛 | 軽水 | 微濃縮ウラン | 酸化物 | ジルコニウム合金 |
| もんじゅ/スーパーフェニックス | なし | ナトリウム | Pu+劣化ウラン | 酸化物 | ステンレス |
| IFR | なし | ナトリウム | Pu+劣化ウラン | 金属 | ステンレス |
| ドラゴン炉 | 黒鉛 | ヘリウム | 高濃縮ウラン+トリウム | 炭化物 | TRISO |
| THTR-300 | 黒鉛 | ヘリウム | 高濃縮ウラン+トリウム | 酸化物 | BISO |
| 熔融塩炉 | 黒鉛またはなし | 燃料塩自身 | 各種 | 液体 | なし |
減速材も冷却材も燃料も、実に多様な組み合わせが試されてきました。しかし表の右2列を見てください。
最下段を除くすべての炉が、「固体の燃料を、何かで包む」という同じ枠組みの中にあります。 減速材や冷却材の違いは、この枠組みの内側でのバリエーションにすぎません。
だからこそ、軽水炉のために積み上げられた燃料技術は他の炉にも流用でき、CANDUはそれによって生き残れました。そして同時に、その枠組み自体が抱える限界からは、どの炉も逃れられませんでした。使用済み燃料を再び使うには、包んだものを壊し、中身を取り出し、また包み直さなければならない——燃料サイクルを閉じるという難題で述べたとおりです。
人類はこの入口から出発してクローズドサイクルを目指し、再処理という重要な一歩は産業として実現しながらも、当初描いた完全な循環にはまだ届いていません。
液体燃料に残された期待 #
熔融塩炉だけが、この入口を共有していません。
燃料が液体であるということは、包むべき固体がないということです。表の右2列が空欄になるのは、そこだけ設計思想の系統が違うためです。
これは二つのことを意味します。
一つは不利な面です。 軽水炉のために積み上げられた膨大な燃料技術を、熔融塩炉はほとんど流用できません。CANDUが享受した恩恵を受けられず、多くを自前で開発する必要があります。実際、熔融塩炉が半世紀にわたって主流になれなかった理由の一つはここにあります。
もう一つは、有利な面です。 固体燃料と湿式処理という入口については、半世紀をかけて膨大な探索が行われ、どこが難しいのかがよく分かってきました。技術は確立し、産業も動いています。しかし当初の構想に届くには、依然として大きな投資と長い時間を要する見通しです。
未踏の入口が残っているとすれば、そこには探索の余地がある。 これが、熔融塩炉に期待が寄せられる最も本質的な理由です。単に「新しい炉型の一つ」なのではなく、人類がまだ本格的に試していない唯一の入口なのです。
もっとも、未踏であることは、そこに困難がないという意味ではありません。むしろ、軽水炉の関係者が半世紀かけて乗り越えてきた種類の苦労を、熔融塩炉はこれから経験することになります。その点は商用炉をつくるという壁で扱います。
この連作の他のページ
- 固体燃料でのトリウム利用の試み — 過去のトリウム挑戦はなぜ挫折したのか
- 商用炉をつくるという壁 — 熔融塩炉がこれから経験する未知の領域